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この場合の「衆」の意味を辞書で調べると、「ある集団を形づくる人々」とある。
別にこの意味を知って「衆」とつけた訳ではない。
自分がこの字を使うにあたり、真っ先に頭に浮かんで来たのは戦国最強の傭兵集団、雑賀衆だ。
彼らの事はガキの頃に信長の野望シリーズで知り、当時は興味を持って調べていた。
この歳になった今、「衆」という字を通じて、再び彼らの事が脳裏に浮かぶとは・・。これも何かの縁か。
考えてみると雑賀衆は、今の自分達の手本になる集団だな、と改めて感服せざるを得ない。
拙い知識ではあるが、雑賀衆について説明しよう。
紀伊国を本拠とする土地の侍集団で、昔では異例な今でいう傭兵稼業で生計を立てていた。
当時、最新鋭の武器である鉄砲で武装していた彼らは、群雄割拠の戦国の世でも恐れられた存在だった。
特定の君主に仕えない傭兵稼業で食っているという、何ともアウトローな所に魅かれてしまう。
それでいて名立たる戦国武将達と互角以上の勝負をやってのける。う〜む、カッコイイではないか。
アマ格闘技のトーナメントで有名ジムの選手を次々になぎ倒して勝ち進む、
以前のウチのエース、N西さんとオーバーラップする。
戦国最強の傭兵集団と謳われた雑賀衆も、遊んでいて強かった訳ではない。
圧倒的に不利な人数の戦ばかり。それ故、少数ながらの機動力を生かした、
今でいうゲリラ戦術に、日々磨きをかけていたのである。
地を這い、草木に紛れ、己の身を岩と化し、息を殺してジッと待つ。そして狙った獲物を確実に仕留める。
彼らは戦国の世に、ランボーやゴルゴ13さながらの戦いを確立し、展開していたのだ。
自分達が勝つには先ず何をすべきか・・。
彼らはそれを模索し、そして確立し、鍛錬していった。だから強かった。
命を賭けてトライ&エラーを繰り返したはずだ。鍛錬なくして、勝利は訪れない。
今も昔も、戦も格闘技も同じなのだ。ただ彼らの場合、敗北は死だったが・・・。
我々も立場は違えど、学ぶべき姿勢ではないか。
彼らとて伝え聞いたのではない。自分達で模索して、確立したのだ。
現代では、闘う技術を練り上げる際に失敗しても、命を落とす事も無ければ、家を失う事もない。
だから他の団体に笑われても構わない。闘いの中で自分達なりに形に出来るモノを見つけたい。
雑賀孫市が率いる鉄砲傭兵集団は、各地の大名に恐れられ、また重宝された。
戦国最強の武田騎馬軍団を鉄砲隊で粉砕した、あの織田信長の軍勢ですら、
石山合戦で雑賀衆と戦った戦績はほぼ全敗。10年もの間、信長に勝ち続けた程の強さだったのだ。
長きに渡る強さの秘密は、怠らない鍛錬に他ならない。
皆はどうか?年齢や忙しさのせいにして、鍛錬を怠ってはいないか?
これから肉体は老いる。それを凌駕する速さでフィジカルを鍛えなければならない。
フィジカル面の強さなくしてテクニックは活かされない。
机上の空論を振りかざす連中の体は闘える体か?否である。
特殊な例であるが「柳龍拳」の動画を見れば、実際に闘っていない人間がどうなるかは分かるでしょう。
フィジカル面の強化は、これからより一層力を入れなければならない事のひとつである。
戦国の世を駆け抜けた雑賀衆、衰退の一番の原因は内部分裂。
彼らはこういう面でも良い手本を示してくれている。
自分達はかつて、15人程で練習していた時期がある。団体名も決め、若手は試合にも出ていた。
元からの仲間に他のジムや道場から流れてきた者が集まって、かなり盛り上がっていた。
地元ではまだ総合格闘技もキックのジムも無かった時代。
手探りながら前に進もうと、プロボクサーや極真、伝統派、喧嘩屋、日拳、ジャンルを超えた人間が集まった。
毎週体育館を借りて、真面目に練習もした。
しかし、雑賀衆と同じ内部分裂で消滅する事となった。
今も昔も、何かがダメになる時の理由はそう多くはないのだ。
自分は今の仲間とは死ぬまで付き合うつもりだ。いや、付き合う。
色々と突っ込みどころは満載の人間ばかりだが、それだけ信用しているし、腹を割って付き合ってる。
今後、そういう問題が頭をもたげたら、それは自分に非があるのだろう。
数は少ないが、それだけ最高の仲間達に囲まれているのだ。
雑賀衆を通じ、様々な事を勉強し直すキッカケになった「衆」という文字。今の俺達にピッタリじゃないか。
「館」でも「塾」でも「会」でもない。ただ気の合う仲間達。好きで集まった仲間達。
見かけもノリも軽いけど、打撃と絆は重いぜ。
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